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【朝日新聞掲載】大村はま「黄金の椅子」復刻


11月15日(月)の朝日新聞(夕刊)にて、弊社が現在取り組んでいる 大村はま「黄金の椅子」の復刻生産 について取り上げていただきました。

大村はま先生について

戦後の国語教育の基礎を築いた国語教師。また国語教育研究の第一人者。
1906年(明治39年)横浜市に生まれ、2005年(平成17年)に享年98歳で亡くなられました。

大村はま先生は国語教師として52年間(72歳まで!)教壇に立ち続け、手作りの独創的な教材で子どもたちの勉強への意欲を引き出しました。
その数々の実践は、のちに「国語単元学習」と呼ばれるものであり、90歳を超えるまで新しい単元(※)を創りつづけたということです。
※単元とは、ある課題解決やテーマをもって組織された学習(教育)プログラムのこと。関連する教材や活動が秩序だって構成される。

いま「アクティブ・ラーニング」つまり主体的(能動的)で対話的な学びが重要視されるなか、戦後の机も椅子も教科書もなかった時代から、如何に子どもたちの意欲を引き出せるかを研究しつづけ、多大な功績を残されました。

大村はま先生について詳しい解説は、下記WEBサイトをご覧ください。

大村はま記念国語教育の会:「大村はまとは」
鳴門教育大学付属図書館:「大村はま先生について」

大村はま「黄金の椅子」とは

△「黄金の椅子」写真:大村務 様(はま先生の甥御様)より写真提供

大村はま先生が、最後の勤務地となった東京都大田区石川台中学校で実際に使用していた丸椅子です。
授業中、この椅子を片手に生徒たちを指導してまわり、生徒と同じ目線で一人一人と静かな対話を繰り返した…といいます。
国語教育学者で日本国語教育学会2代目会長であった倉沢栄吉氏によって、この椅子は「黄金の椅子」と呼ばれました。

大村はま先生はこの椅子について、下記のように語っていました。


 この椅子、いろいろの子どものそばに寄せて、そのときどき、その一人と、ことばを学び、語りあってきた椅子です。
 ある授業のときでした。私は一人の子どもに話したいことがありまして、ふと、そこにあったこの椅子にかけました。
 話しながら、それまで知らなかったような語りごこち、教えごこちを味わいました。ほんとうに、一人と一人、という気分でした。ほんとうに、子どもを見下ろさない姿勢でした。
 私は、子どものそばに、腰を低くして寄りそうという、教室の大切な姿勢を学んだのです。
― 大村はま(1981)『大村はまの国語教室―ことばを豊かに』小学館 より


なんとこの「黄金の椅子」、実は帝国器材が製造した椅子だったのです。
実物に取付けられていた銘板から昭和38年(1963年)の製造と分かりました。
約60年も前のものになりますが、今まで大切に保管されておりました。
かなり傷んだ部分もありましたが、それだけ毎日たくさん使って下さったのだと思います。

△銘板写真:大村務 様より写真提供

弊社が製造した椅子が「黄金の椅子」として永く大切に扱われ、大村はま先生に愛用頂いたこと。
学校家具メーカーとして誇らしく、そして何より、とてもありがたい事と思いました。

感謝の意味を込め、ものづくりを生業とする会社として「黄金の椅子」を限定復刻させていただくことに。
復刻版は、大村はま記念国語教育の会 様が主催する「大村はま奨励賞」の副賞として贈呈致します。

大村はま奨励賞は、
「45歳以下の教員による優れた国語単元学習の実践を顕彰することを通じて、ことばを育てる専門家としての教師の働きにきめ細かく目を向け、国語単元学習の意欲的な実践を励ます」
ことを目的とした賞になります。
(大村はま記念国語教育の会 WEBサイトより引用)

こうして、日々素晴らしい取り組みをなさっている現役の先生の方々にプレゼントできること、とても嬉しく思います。

コロナ禍によって、リアルな場としての学校の意味が問われています。
今こそ、人と人が心を通わせる教育を見つめる切っ掛けになれば、と願っています。